どうも、ブルーチーズドリーマーの伊勢昇平です。
「ブルーチーズドリーマー」ってなんですか?
そんなことを思ってる人もいるかもしれません。
今回は僕が今の仕事をするようになった最初のきっかけのお話です。
きつい汚いダサい金ない
うちの父親が1代目、僕と兄貴が2代目の伊勢ファーム。
僕はここでずっと生まれ育ちました。高校生になるまで僕は親の仕事が大っ嫌いでした。
なぜか?
きつい汚いダサい金ない。
そして何より嫌だった事。
みんなにバカにされる。高校は街中の進学校に通ってたんですが、
「江丹別って電気通ってないんだろ?」
「江丹別の人間も携帯使えるんだ!」
そんなことを毎日言われていました。
挙句の果てには、
保健体育の授業の時、先生が
「北海道の90%は下水が整備されている。おい伊勢、江丹別はどうなんだ?どうせ通っていないだろ?」
完全なトラウマとなり、自分の生まれと親の職業を呪いました。
お前ら、今に見てろよ
自分はこいつらにバカにされるような人間じゃない、世界に出てカッコいい場所でカッコいい仕事をしてやる!と思ってました。
世界に出るならとりあえず英語だろう、ということで高2の時に英会話を習うことを決意します。
その時、ちょうどクラスにべらぼうに発音がネイティブな友達がいて、「お前帰国子女なの?」と聞くと、「いや違うよ。日本人の先生に小さい頃から習ってる」というからついて行くことにしました。
連れてこられたのは高校から歩いて15分ほどの小さいアパートの一室。部屋に入ると上半身裸でマッチョ、坊主で色黒の怖いおじさんが待ってました。ダウンタウン松本人志さんとガンディーを足して1.5で割ったような強烈な印象でした。
「おう、お前英語やりたいんだって?」
高校生にはかなりの圧力でした。
返事は即座にイエス。怖いながらも何か惹かれるものを感じました。
毎週2回、学校が終わった後、走って先生のアパートに行くようになりました。
あの先生の部屋が僕の青春だった
「常にワールドワイドで生きろ」
「今日の最高は明日の最低」
ということを常にいう先生はマジで怖かったです。
ほぼ毎回生徒は誰かしら泣いてました。
ちなみにレッスン前に筋トレと柔軟をやらされます。
筋肉と脳みそは連動しているというのが先生のモットーでした。
そして筋トレが終わった後、 いつもレッスンが始まる前にコーヒーを飲みながら話をしました。
真面目な話からたわいもない話まで。先生が好きなジャズを聴きながら。
「お前は将来何がやりたい?」
「わかんないです。でもとにかく何かすごいことがしたいです。」
なんて話をしてる中で先生が一言。
「お前の親父は牛乳絞ってんだろ。じゃあその牛乳で世界一のチーズを作ったらそれだって立派なワールドワイドだぞ」
その言葉を聞いた瞬間、背筋に電撃が走りました。
「あ、それやります」
瞬時にそう答えました。
僕の業界は割と、自然が好き、とか親の後を継ぎたくて、という人が多いんですが僕は全く違う方向から入ったんです。
世界一になるため、自分の中にある溜まった何かを吐き出すためにチーズを作ろうと決めたんです。
大嫌いだった自分の生まれや親の職業を振り切るために自らそこに戻っていくと言う矛盾がそこで生まれました。
ですがそう決めた時から、親がこだわってやってきた仕事がカッコよく見えるようになってきました。
父親が目指した理想の牛飼いは、自然の流れを尊重し、牛の体調を最大限高めることで美味しい牛乳を作れるようになります。
チーズの勉強をすればするほど、それが美味しいチーズに直結するということがわかってきました。
チーズの質はミルクで決まる。
親がいかに正しいことを貫き通してきたかがわかるようになりました。
きつい汚いダサい金ないには理由があったんです。
最初から夢や希望がある人なんていない
人は誰でも最初から夢や希望にいっぱいで生きているわけではありません。
特に僕のような人間は何か類稀なる才能を持って生まれたわけではありませんし、ずっと自分を物語の脇役だと思っていたネガティヴ少年でした。
しかし、1人の人間の言葉で自分にしかできないことがあるという気持ちが生まれることがあります。
自分を自分という劇場の主役にするのは自分にしかできません。
チーズを作るきっかけをくれた先生の存在、本当に感謝してます。
日本にはもっとあんな本物の先生が必要です。
僕の人生の全てを好転させたのは先生の言葉でした。